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第八話 永冠

Auteur: 春埜馨
last update Date de publication: 2025-07-01 18:52:47

 「…し、知りません…」

 「そうか。ならば用はない」

 人影はまた剣光を放ち、男の喉を瞬く間に突き刺した。

 刃の先に注がれた剣気と鮮血が入り混じり、不気味な血腥さが漂う。

 人影の口元が僅かに動いた。

 「必ずや…この手で見つけ出し、遺恨を晴らす…」

 人影は、苛立ちを込めた表情で剣の柄を力強く握り締め、地鳴りを轟かせるように地面を穿った。

 ・

 ・

 ・

 翌日。

 蘭瑛《ランイン》は賢耀《シェンヤオ》がいる宮殿で、痙攣するかのように顔を引き攣らせていた。

 「ねぇ、お願い!一緒に永徳館《よんとくかん》へ来てよ。蘭瑛先生がいてくれたら、きっと永憐《ヨンリェン》兄様も許可してくれるから〜」

 どうしても永憐の稽古に参加したい賢耀は、蘭瑛同席なら、稽古に参加してもいいんじゃないかと、打診してきた。

 賢耀の身体はもうほぼ回復していた。

 しかし、異様な回復劇だったものの、まだ回復してから二日しか経っていない。

 蘭瑛は悩みながら梅林《メイリン》と顔を見合わせる。

 梅林は大きく息を吸いながら、頬に手を当てながら呟いた。

 「そうねぇ〜。とても元気そうだけれど…。永憐様が何ておっしゃるか…」

 「ん〜、ですよね…」

 蘭瑛は目尻を垂らし、困り顔で続ける。

 「それに…私のような部外者が永徳館へ行ったら、怒られませんか?」

 「それは問題ないと思うわよ。毎日、黄色い声が飛び交っているから」

 梅林はクスクスと笑っている。

 (黄色い声?虫か何かか?)

 女の熱烈な感情に疎い蘭瑛は、その声の主が何か分からず、首を傾げた。

 賢耀は吹き出すように高笑いし、「行ってみれば分かるよ」と言った。

 蘭瑛は賢耀に、半ば強引に連れて行かれ、仕方なくといった様子で、永徳館へ向かうことになった。梅林は食材を取りに行くと言って、途中で別れた。

 宋長安の宮殿内はとてつもなく広大だ。少しでも迷ったら、客室どころか藍殿にすら戻れないだろう。蘭瑛はキョロキョロと辺りを見回しながら、進んだことのない道を、賢耀たちに続いて歩いていく。

 しばらく進むと、区切られた敷地内にある立派な木造の建物から、木刀のぶつかる音が何層にも連なって聞こえてきた。その奥では、物珍しそうな芸を見るかのように、宮殿内の女たちが、目を光らせて集まっている。

 蘭瑛はその光景に思わず目を瞠った。

 すると、突然。耳を劈くぐらいの拍手と歓声が沸き起こった。

 『キャア〜!永憐さまァ〜!』

 「……」

 (黄色い声というのはこれのことか…)

 蘭瑛は思わず、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 永憐が袍や髪を揺らすたび、黄色の拍手喝采が起こり、中には興奮のあまり手拭いで目元を抑える者もいるではないか!

 (立っているだけで女を泣かせてしまうなんて…。なんて罪深い男なんだ…)

 蘭瑛はやれやれといった様子で、賢耀の話に耳を傾ける。

 賢耀曰く、以前は立ち入りを制限していたが、何度対策を講じても、覗き見する女子たちが後を絶たない為、今は邪物の訓練も兼ねて解放しているらしい。

 「ね?凄いでしょ」

 賢耀は入り口の前で靴を脱ぎながら、蘭瑛に白い歯を見せた。

 すると、永憐が賢耀たちに気づいたようで、こちらに向かって歩いてくる。

 蘭瑛は賢耀の後ろで、永憐に向かって拱手をした。

 「耀《ヤオ》、もう大丈夫なのか?」

 「もう平気だよ!永憐兄様。今日は、蘭瑛先生も連れてきたからいいでしょ?」

 永憐は蘭瑛の顔をチラッと見た。

 そしてすぐに、賢耀に目線を戻し、続ける。

 「今日は剣の稽古だ。賢达《シェンダー》は握れるか?」

 「大丈夫だよ!ほら」

 賢耀は、自分の剣を横向きにして楽々と鞘から抜き出した。ふと蘭瑛の目に、剣の根本に何かが刻まれているのが見える。

 (『賢达《シェンダー》』というのは、皇太子殿下の剣の名前なのか〜)

 綺麗な篆書《てんしょ》で彫られた文字を眺め、蘭瑛はまた目線を元に戻す。

 当然ながら剣に疎い蘭瑛は、今からどんな稽古が始まるかは全く見当もつかない。とりあえず「無理はしないように」とだけ、背後から賢耀に伝えた。

 ここにいる者が全員、襟元を正し始める。

 永憐と向かい合うように弟子たちが座り、挨拶を交わす。

 永徳館の中は厳格な空気が流れ始め、こうして厳しい稽古が始まった。

 蘭瑛は一番後ろの壁面の前で、賢耀の様子を観察することになった。永憐は、賢耀を気遣ってか身体を使った激しい稽古ではなく、術の霊力で剣を操れるかどうかの稽古を始めた。剣を浮かせたり、手の動きで剣を上に持ち上げたりと、皆がそれぞれ鍛錬している。しかし、賢耀の観察を続けていると、賢耀だけ剣を手元に引き寄せることができず、剣を何度も床に落としてしまっていた。賢耀の霊力が極端に弱っていることに気づいた蘭瑛は、目の前の様子を紙に綴った。

 永憐は賢耀に向かって声を張り上げる。

 「耀!賢达をこちらに飛ばしてみろ!」

 「うん!行くよ!永憐兄様」

 賢耀は剣を浮かせ、利き手を伸ばして「飛べ!」と言うが、飛ばす力も弱く、永憐の手元に届く前に落ちてしまった。

 「…霊力が弱っている。まずは、霊力を回復させてからだ。今日は瞑想し、全身の経脈を整えろ」

 永憐はそう言って、落ちた賢达を拾い、賢耀に渡した。

 賢耀は、自分の霊力が低下していることに酷く落胆し、最初の意気込みは全く消え失せてしまった。

 肩を落とした賢耀は賢达を持って、蘭瑛の横に腰を下ろす。

 「ねぇ蘭瑛先生…。霊力はどうしたら戻る?」

 「…ん〜、そうですね…。まずは、永憐様の仰るように経脈を整えましょう。手首を一度、お借りしてもいいですか?」

 「うん、いいよ」と言って賢耀は、袖を捲って蘭瑛に右手を差し出した。

 蘭瑛は、賢耀の右手首に自分の人差し指と中指を当て、経脈に触れようとするが、やはり経脈の流れを感じられない。

 「どう?」

 賢耀の言葉に、蘭瑛は首を横に振った。

 「そっか。じゃ、瞑想を頑張るしかないね」

 賢耀は袖を元に戻し、遠いものでも見るかのように、永憐の姿を眺め始めた。

 目の前で繰り広げられている激しい稽古を見ながら、賢耀は続ける。

 「瞑想も大事なんだけどさ〜、今は永憐兄様の動きを観察していたいんだよね〜。ほら見てよ。あの俊敏さと鮮明さ。どうやったらあんな風になれるのかなぁ〜」

 賢耀の言葉に促された蘭瑛は、目線を永憐の方に向ける。

 先の先まで動きが読めているのか、永憐は俊敏に降りかかってくる弟子たちの剣先を、何度も飛ぶように躱し、「遅い」「まだまだだ」「ぶれている」「弱い」と、冷たい一言を次々と放つ。

 誰一人と、剣先を永憐に掠めることすらできないでいると、永憐は穏やに弟子たちを見守っていた宇辰《ウーチェン》を、前に呼び出した。

 「しっかり見ていろ」と弟子たちに言い残し、永憐は宇辰の前で、持っていた自分の剣を鞘から引き抜いた。

 「お!永冠《ヨングァン》だ!」

 隣にいる賢耀が、目を光らせて言い放った。

 「ヨングァン?」と蘭瑛が言い返したあと、目線は永憐に釘付けのまま、賢耀は口だけを動かす。

 「うん。あの永冠《ヨングァン》っていう剣はね、かつて剣豪と呼ばれていた冠月《グァンユエ》という人が使っていた剣で、あの最凶の玄天遊鬼《げんてんゆうき》を滅多刺しにして、封印したと言われているんだよ。特殊な剣で、剣が認めた者しか鞘から抜けないんだって。ようは鍵付きの剣ってやつさ」

 「へぇ〜…」

 「あれで斬られたら、普通の人間なら即死だよ」

 その一言に、何故か蘭瑛は両親のことを思い出した。両親を斬った剣も、永憐の持っている永冠のように鋭く光っていた。

 瞼を閉じれば、今も鮮明に思い出せるあの光景━︎━︎━︎━︎。

 (両親を斬った人は、今も宋長安のどこかにいるのだろうか…)

 ふと、蘭瑛は永憐を見る。

 一枚の花弁が儚げにふわりと舞うように、永憐は袍をはためかせ、宇辰の一撃を躱した。その姿は四大美人の一人と言われた西施《さいし》のように、とても美しかった。

 永憐の稽古が事なく終わり、蘭瑛は永徳館から自分の部屋に戻ってきた。賢耀の弱くなった霊力を補えるように、何か手立てが無いか、蘭瑛は出発前に借りた遠志の小さな本を捲り始めた。

 (何の薬を飲まされていたんだろう…。毒の種類まで判明できたら良かったんだけどなぁ〜。それにしても、霊力と体力を同時に失くさせる毒なんて、よほど医術に精通する者じゃないと作れないと思うんだけど…。三家以外にも、特殊な医術を持った者がいるんだろうか?もしかして、玄天遊鬼がどこかで作ってるとか?)

 「んなわけないか…」

 思わず独り言が漏れる。

 それもそのはず。玄天遊鬼は、六華鳳宗を追放された際、開祖・六華鳳凰から全ての六華術を剥奪されたと聞いている。医術を使えるはずがないのだ。

 蘭瑛は紙を捲るように次々と思考を巡らせていると、ある頁に書き記された言葉が、目に留まった。

 『物事は常に大きく捉えよ。目の前にある小さなものが全てではない。迷いが生じたのならば、根本を見直すべし』

 「根本が分かれば苦労しないって…」

 蘭瑛は、大きく溜め息を吐きながら、本を閉じた。

 すると、部屋の出入口の扉からコンコンと音が鳴った気がした。何か物が当たったのか自分の聞き間違えか、蘭瑛はしばらく扉の方を見る。しばらくすると、またコンコンと次は少し大きな音が鳴った。蘭瑛は扉の前に移動し、閂をゆっくり引き抜く。そして、恐る恐る扉を開けると蘭瑛は思わず目を見開いた。

 そこには、以前賢耀の宮殿前で梓林《ズーリン》の横にいた女が、焦ったように息を切らした様子で立っていた。

 その女の名は、秀綾《シュウリン》と言った。

 

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