Mag-log in「そうか。ならば用はない」
人影はまた剣光を放ち、男の喉を瞬く間に突き刺した。
刃の先に注がれた剣気と鮮血が入り混じり、不気味な血腥さが漂う。 人影の口元が僅かに動いた。「必ずや…この手で見つけ出し、遺恨を晴らす…」
人影は、苛立ちを込めた表情で剣の柄を力強く握り締め、地鳴りを轟かせるように地面を穿った。
・ ・ ・ 翌日。 蘭瑛《ランイン》は賢耀《シェンヤオ》がいる宮殿で、痙攣するかのように顔を引き攣らせていた。「ねぇ、お願い!一緒に永徳館《よんとくかん》へ来てよ。蘭瑛先生がいてくれたら、きっと永憐《ヨンリェン》兄様も許可してくれるから〜」
どうしても永憐の稽古に参加したい賢耀は、蘭瑛同席なら、稽古に参加してもいいんじゃないかと、打診してきた。
賢耀の身体はもうほぼ回復していた。 しかし、異様な回復劇だったものの、まだ回復してから二日しか経っていない。 蘭瑛は悩みながら梅林《メイリン》と顔を見合わせる。 梅林は大きく息を吸いながら、頬に手を当てながら呟いた。「そうねぇ〜。とても元気そうだけれど…。永憐様が何ておっしゃるか…」
「ん〜、ですよね…」
蘭瑛は目尻を垂らし、困り顔で続ける。
「それに…私のような部外者が永徳館へ行ったら、怒られませんか?」
「それは問題ないと思うわよ。毎日、黄色い声が飛び交っているから」
梅林はクスクスと笑っている。
(黄色い声?虫か何かか?)
女の熱烈な感情に疎い蘭瑛は、その声の主が何か分からず、首を傾げた。
賢耀は吹き出すように高笑いし、「行ってみれば分かるよ」と言った。蘭瑛は賢耀に、半ば強引に連れて行かれ、仕方なくといった様子で、永徳館へ向かうことになった。梅林は食材を取りに行くと言って、途中で別れた。
宋長安の宮殿内はとてつもなく広大だ。少しでも迷ったら、客室どころか藍殿にすら戻れないだろう。蘭瑛はキョロキョロと辺りを見回しながら、進んだことのない道を、賢耀たちに続いて歩いていく。 しばらく進むと、区切られた敷地内にある立派な木造の建物から、木刀のぶつかる音が何層にも連なって聞こえてきた。その奥では、物珍しそうな芸を見るかのように、宮殿内の女たちが、目を光らせて集まっている。 蘭瑛はその光景に思わず目を瞠った。 すると、突然。耳を劈くぐらいの拍手と歓声が沸き起こった。『キャア〜!永憐さまァ〜!』
「……」
(黄色い声というのはこれのことか…)
蘭瑛は思わず、苦虫を噛み潰したような顔になる。
永憐が袍や髪を揺らすたび、黄色の拍手喝采が起こり、中には興奮のあまり手拭いで目元を抑える者もいるではないか!(立っているだけで女を泣かせてしまうなんて…。なんて罪深い男なんだ…)
蘭瑛はやれやれといった様子で、賢耀の話に耳を傾ける。
賢耀曰く、以前は立ち入りを制限していたが、何度対策を講じても、覗き見する女子たちが後を絶たない為、今は邪物の訓練も兼ねて解放しているらしい。 「ね?凄いでしょ」賢耀は入り口の前で靴を脱ぎながら、蘭瑛に白い歯を見せた。
すると、永憐が賢耀たちに気づいたようで、こちらに向かって歩いてくる。 蘭瑛は賢耀の後ろで、永憐に向かって拱手をした。「耀《ヤオ》、もう大丈夫なのか?」
「もう平気だよ!永憐兄様。今日は、蘭瑛先生も連れてきたからいいでしょ?」
永憐は蘭瑛の顔をチラッと見た。
そしてすぐに、賢耀に目線を戻し、続ける。 「今日は剣の稽古だ。賢达《シェンダー》は握れるか?」「大丈夫だよ!ほら」
賢耀は、自分の剣を横向きにして楽々と鞘から抜き出した。ふと蘭瑛の目に、剣の根本に何かが刻まれているのが見える。
(『賢达《シェンダー》』というのは、皇太子殿下の剣の名前なのか〜)
綺麗な篆書《てんしょ》で彫られた文字を眺め、蘭瑛はまた目線を元に戻す。
当然ながら剣に疎い蘭瑛は、今からどんな稽古が始まるかは全く見当もつかない。とりあえず「無理はしないように」とだけ、背後から賢耀に伝えた。ここにいる者が全員、襟元を正し始める。
永憐と向かい合うように弟子たちが座り、挨拶を交わす。 永徳館の中は厳格な空気が流れ始め、こうして厳しい稽古が始まった。蘭瑛は一番後ろの壁面の前で、賢耀の様子を観察することになった。永憐は、賢耀を気遣ってか身体を使った激しい稽古ではなく、術の霊力で剣を操れるかどうかの稽古を始めた。剣を浮かせたり、手の動きで剣を上に持ち上げたりと、皆がそれぞれ鍛錬している。しかし、賢耀の観察を続けていると、賢耀だけ剣を手元に引き寄せることができず、剣を何度も床に落としてしまっていた。賢耀の霊力が極端に弱っていることに気づいた蘭瑛は、目の前の様子を紙に綴った。
永憐は賢耀に向かって声を張り上げる。
「耀!賢达をこちらに飛ばしてみろ!」
「うん!行くよ!永憐兄様」
賢耀は剣を浮かせ、利き手を伸ばして「飛べ!」と言うが、飛ばす力も弱く、永憐の手元に届く前に落ちてしまった。
「…霊力が弱っている。まずは、霊力を回復させてからだ。今日は瞑想し、全身の経脈を整えろ」
永憐はそう言って、落ちた賢达を拾い、賢耀に渡した。
賢耀は、自分の霊力が低下していることに酷く落胆し、最初の意気込みは全く消え失せてしまった。 肩を落とした賢耀は賢达を持って、蘭瑛の横に腰を下ろす。「ねぇ蘭瑛先生…。霊力はどうしたら戻る?」
「…ん〜、そうですね…。まずは、永憐様の仰るように経脈を整えましょう。手首を一度、お借りしてもいいですか?」
「うん、いいよ」と言って賢耀は、袖を捲って蘭瑛に右手を差し出した。
蘭瑛は、賢耀の右手首に自分の人差し指と中指を当て、経脈に触れようとするが、やはり経脈の流れを感じられない。「どう?」
賢耀の言葉に、蘭瑛は首を横に振った。
「そっか。じゃ、瞑想を頑張るしかないね」
賢耀は袖を元に戻し、遠いものでも見るかのように、永憐の姿を眺め始めた。
目の前で繰り広げられている激しい稽古を見ながら、賢耀は続ける。「瞑想も大事なんだけどさ〜、今は永憐兄様の動きを観察していたいんだよね〜。ほら見てよ。あの俊敏さと鮮明さ。どうやったらあんな風になれるのかなぁ〜」
賢耀の言葉に促された蘭瑛は、目線を永憐の方に向ける。
先の先まで動きが読めているのか、永憐は俊敏に降りかかってくる弟子たちの剣先を、何度も飛ぶように躱し、「遅い」「まだまだだ」「ぶれている」「弱い」と、冷たい一言を次々と放つ。 誰一人と、剣先を永憐に掠めることすらできないでいると、永憐は穏やに弟子たちを見守っていた宇辰《ウーチェン》を、前に呼び出した。「しっかり見ていろ」と弟子たちに言い残し、永憐は宇辰の前で、持っていた自分の剣を鞘から引き抜いた。
「お!永冠《ヨングァン》だ!」
隣にいる賢耀が、目を光らせて言い放った。
「ヨングァン?」と蘭瑛が言い返したあと、目線は永憐に釘付けのまま、賢耀は口だけを動かす。「うん。あの永冠《ヨングァン》っていう剣はね、かつて剣豪と呼ばれていた冠月《グァンユエ》という人が使っていた剣で、あの最凶の玄天遊鬼《げんてんゆうき》を滅多刺しにして、封印したと言われているんだよ。特殊な剣で、剣が認めた者しか鞘から抜けないんだって。ようは鍵付きの剣ってやつさ」
「へぇ〜…」「あれで斬られたら、普通の人間なら即死だよ」
その一言に、何故か蘭瑛は両親のことを思い出した。両親を斬った剣も、永憐の持っている永冠のように鋭く光っていた。
瞼を閉じれば、今も鮮明に思い出せるあの光景━︎━︎━︎━︎。(両親を斬った人は、今も宋長安のどこかにいるのだろうか…)
ふと、蘭瑛は永憐を見る。
一枚の花弁が儚げにふわりと舞うように、永憐は袍をはためかせ、宇辰の一撃を躱した。その姿は四大美人の一人と言われた西施《さいし》のように、とても美しかった。永憐の稽古が事なく終わり、蘭瑛は永徳館から自分の部屋に戻ってきた。賢耀の弱くなった霊力を補えるように、何か手立てが無いか、蘭瑛は出発前に借りた遠志の小さな本を捲り始めた。
(何の薬を飲まされていたんだろう…。毒の種類まで判明できたら良かったんだけどなぁ〜。それにしても、霊力と体力を同時に失くさせる毒なんて、よほど医術に精通する者じゃないと作れないと思うんだけど…。三家以外にも、特殊な医術を持った者がいるんだろうか?もしかして、玄天遊鬼がどこかで作ってるとか?)「んなわけないか…」
思わず独り言が漏れる。
それもそのはず。玄天遊鬼は、六華鳳宗を追放された際、開祖・六華鳳凰から全ての六華術を剥奪されたと聞いている。医術を使えるはずがないのだ。 蘭瑛は紙を捲るように次々と思考を巡らせていると、ある頁に書き記された言葉が、目に留まった。 『物事は常に大きく捉えよ。目の前にある小さなものが全てではない。迷いが生じたのならば、根本を見直すべし』「根本が分かれば苦労しないって…」
蘭瑛は、大きく溜め息を吐きながら、本を閉じた。
すると、部屋の出入口の扉からコンコンと音が鳴った気がした。何か物が当たったのか自分の聞き間違えか、蘭瑛はしばらく扉の方を見る。しばらくすると、またコンコンと次は少し大きな音が鳴った。蘭瑛は扉の前に移動し、閂をゆっくり引き抜く。そして、恐る恐る扉を開けると蘭瑛は思わず目を見開いた。そこには、以前賢耀の宮殿前で梓林《ズーリン》の横にいた女が、焦ったように息を切らした様子で立っていた。
その女の名は、秀綾《シュウリン》と言った。
ひと月の喪に伏せた後、永憐は宋武帝の遺言通り世間に皇弟であることを公表し、|永豪帝《ヨンゴウテイ》として宋長安の後継者となった。 |賢耀《シェンヤオ》は少しずつ心を取り戻し、永憐と一緒に政への参加に勤しんだ。 橙仙南の後宮が滅んだ後も橙南の町はそのまま残し、宋長安の配下の元、風宇は深豊の側近として仕えることになった。 宋長安と橙仙南と青鸞州の三国を統合し、長安州という国に生まれ変わらせると、永憐は名医三家に俸禄をし、医術の繁栄にも力を注いだ。 その影響なのか、|秀沁《シウチン》は潔く蘭瑛から身を引き、永憐に対して無礼を働くことはなくなった。 更に永憐はその他にも貧富の差を埋める為、出自に関わらず様々な人材を確保し、様々な自国の農産物を各国に流出するなど、全ての民の仕事と生活を安定させた。 蘭瑛はというと本格的な悪阻が始まり、梅林の監視の元藍殿で休んでいた。「蘭瑛、具合はどう? 檸檬持ってきたけど食べる?」「食べますぅ、……うぅ」「あらあら……」 梅林は吐き戻している蘭瑛の背中を摩り、孫が見れるなら何でもすると、嫌な顔一つせず献身的に支えた。「こればっかりはね、仕方ないのよね〜蘭瑛」「すみません……。双子だからかな、悪阻も二倍なのは……」 蘭瑛は双子を懐妊した。 出産は初夏頃を予定しているが、蘭瑛のお腹はもうぽっこり出ている。悪阻は辛いが、お腹を触る度二つの命が宿っていると思うと、この上ない愛おしさを感じる。具合の良い時は梅林と散歩をしたり、具合の悪い時は水飴をひたすら舐め続けるなどして、この神秘的な瞬間を噛み締めるように日々を過ごした。 悪阻が落ち着き始めた春。 蘭瑛は永憐を連れて六華鳳宗を訪ねていた。 鳳凰が植えたとされる、百本の桜並木が今年も見頃を迎えており、どうしても永憐に見せたかったからだ。「綺麗でしょ、永憐様」「あぁ。凄い綺麗だ」 蘭瑛は足を止め、桜の木を見上げる。 昨年は一人でここに立っていたのに、今年は最愛の人とここに立っている。来年は二人増えて四人でここを訪れるだろう。 人生は本当に何が起こるか分からない。 だからこそ、良いことも悪いことも巡り巡って、各々の人生を彩っていくのかもしれない。 蘭瑛は隣にいる永憐の顔を見上げる。 例え過ちがあったとしてもそれを上回る愛と赦しがあれば、罪は少しずつ消えて
蘭瑛は蒼穹を垂らした永冠を光らせ、玄天遊鬼の元へ歩いて行く。玄天遊鬼は、蘭瑛の姿を捉えると何故か一歩後ずさった。 「お、お前は一体誰だ?」 「あなたが一番心から信頼していた六華鳳凰の末裔、|華蘭瑛《ホアランイン》だ」 どうやら蘭瑛の姿が六華鳳凰の姿に似ていると思ったのだろう。玄天遊鬼は慌てた様子で足元に落ちていた剣を足で蹴り上げ、剣を構えた。蘭瑛は構わず続ける。 「玄天遊鬼……。いや、本名は|天佑《テンヨウ》。娘の名前は|花舞《ファウー》。いつまで恨み続ける気ですか? 仕方ない出来事だったはずなのに」「黙れ!! 鳳凰は、私の娘を見捨てたんだ!! 別の子どもたちは皆、赤疫から助かったのに鳳凰は花舞だけ何もしなかった」「違う! あなたの力を信じていたからよ。あなたなら助けられると思ったから」 当時、玄天遊鬼は優秀な医家として六華鳳宗に所属し、六華鳳凰の弟子として働きながら、幼い娘を男手一つで育てていた。 そんなある日、当時は赤疫と呼ばれた今の赤潰疫のような流行病が蔓延し、幼い子どもたちの尊い命が奪われていく事件が勃発した。 鳳凰たちは、手当てをしに各地を巡回していたが、その最中に玄天遊鬼の一人娘・花舞もこの病に感染してしまう。 重症だった花舞を玄天遊鬼が必死に看病するも、一向に回復の兆しが見えず、玄天遊鬼は藁にもすがる思いで鳳凰に六華術の触診を願い出た。しかし、鳳凰は弟子の子どもを優先する訳にはいかず、玄天遊鬼の実力を熟知していたこともあり、あと三日待って欲しいと伝えた。だが、花舞の容体は見る見るうちに急変し、鳳凰が尋ねた時には息を引き取っていた。その事が引き金となり、玄天遊鬼は六華鳳宗を離反し、私怨を抱いたまま赤潰疫をばら撒く鬼と化した。「鳳凰先生の手記には、あなたに対する罪悪感と、自責の念が書かれていた。あなたに絶大な信頼を置いていたことも」「黙れ! 黙れ! 黙れ! 何が信頼だ! 何事も尽力してきた弟子の願いすら、あの男は聞き入れなかった。あの男が娘を殺したんだ!!」 玄天遊鬼は苛立つ気持ちを抑えられないまま、蘭瑛に向かって術滅印を放った。 しかし、蘭瑛は正還法を放出している為、何の被害も被らない。「くそっ! この六華鳳宗め!」 玄天遊鬼は「くたばれ!」と罵り、剣先を向けて蘭瑛に飛びかかった。 すると蘭瑛は掌から眩惑法
「やはり、お前だったか」 「口の利き方には気をつけろ、若僧が」 化けの皮が剥けた|玄天遊鬼《ゲンテンユウキ》は、更に邪悪な雰囲気を纏い始める。空は淀み、周辺が急に薄暗くなった。 永憐が睨みを効かし、口火を切る。「ずっと、端栄に化けて行動していたのか?」 「そうだ。|端栄《タンロン》という男が、その剣を持っていた男の封印を解き、私の所へ来た。統治を乱す者を全員消して欲しいと。だから四国の古い長たちを全員殺した。お前の存在を探る為、姿を変えて宋長安にも何度か行ったんだが、誰かを殺したくて躍起になっている妃達の姿が滑稽だったよ」 「|天京《テンキョウ》と名乗っていたのもお前か?」「天京? あぁ〜。そんなような名前を名乗ってたな。もう忘れちまったが。さぁ、戯言はここまでだ。準備はいいか?」 玄天遊鬼は汚い歯を見せながら、剣先を永憐に向けて永憐に飛び掛かった。永憐も十分に溜め込んだ剣気を放出するかの如く、果敢に攻める。二つの剣先が交わると、端栄の時とは違う光芒が轟音と共に鳴り響いた。 目が眩む程の激しい交戦が続き、誰もが息を呑んでいると、光芒が突如止む。「さすが剣豪の息子だ。しっかり血は通っているのだな」「当たり前だ」 永憐と距離を取った玄天遊鬼は、永憐の周りを囲うように黒い靄を放った。 「しばし、夢を見るがいい」 永憐は靄の隙間から見えた霞んだ玄天遊鬼の目を睨みつけながら、靄に呑み込まれていった。 ここは誰かの夢か? 永憐の目の前が暗闇から明けていくと、祝言を終えたあとに住む予定だった家の前で、一人の女が立っているのが目に入った。「|永郎《ヨンロウ》? 、お帰りなさい」「|美雨《メイユイ》……」 記憶に残っている美雨の姿がそのまま反映されているようだ。 美雨が永憐の手を取り、家の奥へ連れて行こうとする。「永郎、早く中に入ろうよ。ずっと待ってたんだから」「……」「ねぇ、どうしたの? 何でこっちに来てくれないの? 家の中に入ったら、ずっと一緒にいられるよ」「……中へは入れない」 永憐の言葉を聞いた美雨は永憐の手を離し、無の表情を見せた。「私をまた一人にさせるの? この家で私はずっとあなたの帰りを待ってるのに、あなたはどうして帰ってこないの? どうして、ねぇ、どうしてなの?!」「……美雨。お前はもう死んでいる。そ
永冠は剣光を放ち、|端栄《タンロン》の剣とぶつかる! キンキンと剣先が擦れ、激しい光芒が交わると他の者たちも一斉に食ってかかった。 |永憐《ヨンリェン》は端栄の動きを瞬時に把握し、袍を靡かせ絶妙な足運びで攻撃を躱す。 さすが、帝の側近同士である。 互いに一歩も譲歩しないといった様子だ。「|王《ワン》国師は更に腕を上げられましたね。昔の手合わせとは全然違う」「私もそう感じる。まるで別人だ」 永憐は剣先を打つように離し、端栄から一旦距離を置く。 すると端栄の隙を狙ったのか、突然横から|龍凰《ロンファン》が端栄の足元に氷術を打った。 端栄の足元が瞬く間に凍り、端栄は身動きが取れなくなったのだが、持っていた剣に灼熱の火を放出すると足元の氷に突き刺した。「こんなもので私を捕まえられると思うな」 端栄はそう言いながら、突然姿を消した。 永憐は永冠を構えながら探知術で気配を探知するが、妙な術を放出しているのか上手く把握できない。 すると、永憐の側近である|宇辰《ウーチェン》が僅かな動きを把握して叫んだ!「龍凰皇弟! 危ない!」 姿を現した端栄の剣を庇うかのように、宇辰は龍凰の正面に飛び込む。 行動は吉とはならず、端栄の剣は宇辰の腹を通過し、宇辰は口から大量の血を吐いた。「宇辰!!」 永憐は憤慨しながら端栄に襲い掛かり、端栄の頭を永冠の柄で叩き打った。脳震盪を起こした端栄はその場に崩れ落ち、目を白目にして口から泡を吹き出した。永憐はすぐに宇辰の元に駆け寄り、腹の傷を抑える。倒れ込んだ龍凰もすぐに起き上がり、眉を下げながら駆け寄った。「大丈夫か宇辰!! おい!! しっかりするんだ!!」「宇辰殿、申し訳ない……」「お二人とも……。私のことは……、どうぞ……、お構いなく……」 息を切らしながら宇辰はいつものように微笑んだ。「ほっとけないだろう! 術で出血を止められるか?」 永憐は意識が朦朧とし始めている宇辰を揺さぶりながら、必死に呼び掛けた。 すると、二度と聞くことのないはずの女の声が背後から聞こえてくる。まるで救世主が現れたかのように。「ここは私たちが何とかするので、永憐様は早く敵のところへ」 永憐が声のする方へ振り向くと、蘭瑛と遠志が毅然と立っていた。遠志が目尻に皺を寄せて小さく頷き、永憐の安堵を誘う。「どうしてここに
空には分厚い雪雲が連なり、細雪が降り注ぐ。 |宋武帝《そんぶてい》を筆頭に|永憐《ヨンリェン》たちは物々しい朱源陽に到着した。 到着するのを見計らっていたかのように、門の前では早々に|橙剛俊《トウガンジュン》率いる元橙仙南の者たちが、意識を一瞬で失くさせる|風煙死《ふうえんし》を仕掛けてくる。「おい! この野郎! つい最近まで一緒にやってたっつーのに誰に向けて飛ばしてやがる! 殺すぞ!」 開口一番に怒号を飛ばしたのは|深豊《シェンフォン》だった。深豊に勝てない元橙仙南の者たちは一斉に逃げようとするが、深豊は一人残らず斬っていった。「俺と一緒に来てりゃ、こんな事にならなかったのにな」 深豊はそう言いながら剣を一振りし、垂れ落ちてくる血を払った。隣にいた永憐は探知術を使い、この広大な朱源陽の敷地内にいるであろう|朱陽帝《しゅうようてい》の位置を特定する。「宋武帝! あちらです」 永憐がそう言うと宋武帝が先頭に立ち、一行はまた煙を巻いて馬を走らせた。 すると、前方の上空から先の尖った何かが猛烈な光を放って大量に飛んでくる。 それが何なのか、真っ先に気づいた深豊が後ろから叫んだ!「橙仙南の攻撃の一種、砂鉄風だ! 先が尖っている! 当たれば出血、目に入れば失明だ! 皆、気をつけろ! ったく、禁じ手である砂鉄風を使いやがって! このクソ野郎ども!」 深豊の怒号を聞いた一行は、馬の手綱を引き一旦止まる。 永憐が守護術を上空全体を覆うとしたが間に合わず、宋武帝が代わりに雷術の電光石火を放ち、砂鉄風を全て吸い上げ轟音と共に跡形もなく砕いた。「さすが、宋武帝!」「ありがとうございます」「礼には及ばぬ」 永憐以外、宋武帝の真の威力を見たのは初めてだった。 さすが、雷術の本尊と呼ばれた長である。 後ろでその様子を体感した|賢耀《シェンヤオ》は、自分の父の威力と偉大さに感銘を受けた。「何をぼーっとしている! 先へ急ぐぞ!」 一行はまた更に先へ進み、ありとあらゆる攻撃を躱しながら、ようやく朱陽帝の本殿の前に到着した。 そこには獰猛な雰囲気を纏った強靭な男たちがずらりと立っており、視線を上に向けた上座には|朱陽帝《しゅうびてい》こと|温朱《オンシュウ》と、橙仙南の裏切り者|橙剛俊《トウガンジュン》が悠然と立っていた。 隣には護衛の|端栄《タンロン
それは剣門山の山に差し掛かったところで起きた。 前方から二人の高身長な男女が歩いてくるのが見え、蘭瑛は目を見開き思わず立ち止まった。 目に飛び込んできたのは、今蘭瑛が一番見たくない|永憐《ヨンリェン》と|儷杏《リーシー》の姿だった。見てはいけないものを見てしまったかのように、沸き立つ恐怖のような動悸が蘭瑛を襲う。 永憐も前から来る蘭瑛の姿を捉えたのか、その場で立ち止まり、茫然とする。見つめ合う二人の間には氷瀑が幾重にも連なり、決してそちらにはいけまいと言わんばかりの雨氷が吹き荒れているようだ。 茫然と突っ立っている永憐に気づいた秀沁は、憐れむような目を向けて拱手した。 「これは、これは、|王《ワン》国師殿。こんな所でまたお目にかかれるとは。仙女をお連れになるなんて、珍しいですね」 永憐は目を逸らすだけで何も言わない。 代わりに儷杏が答える。 「あら、どなたかと思ったら蘭瑛先生じゃないですか。宋長安では、|私の《・・》永憐がお世話になりました。お二人はどういうご関係なのですか? 随分と仲睦まじく見えますけど。もしかして祝言を控えてらっしゃるとか?」 「ははっ。そのようなご報告ができるといいのですが」 蘭瑛は自慢げに話す秀沁を一瞥した。 永憐は氷のような冷えた目で秀沁を見たあと、「お幸せに。では」と言って消え去るように歩いていった。 (「お幸せに。では」) 否定すれば、こんな一方的に突き放されるような言葉を言われずに済んだだろうか。やっと生傷が塞ぎかけてきたというのに、またその生傷に尖った刃を入れられたみたいだ。 蘭瑛は俯き、目を瞑って「待って〜」と言う儷杏が永憐を追いかける声を受け止めた。 「蘭瑛、ほらな。あいつは……」 「何で勝手なことを言うのよ!! 私がいつ、秀沁兄さんと結婚するって言った?! 勝手にべらべらと私の気も知らずに!! いい加減にしてよ!!」 蘭瑛は涙目になって秀沁に捲し立てた。 「……ごめん。でも、そうでもしないと俺だって……」 「俺だって何よ?!」 「……もたないよ」 蘭瑛の頬に一粒の大きな涙が伝う。 嗚咽が込み上げ、濡れた頬を手で拭いながら「帰る」と言った。秀沁は慌てて蘭瑛の腕を掴んで止める。 「一人でどうやって帰るんだよ?」 「離して! 私はどうにで